サッカーの専門家がするべきではない批判

http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakayamaatsushi/20130621-00025853/
サッカーのジャーナリストが書いた批判ですが質の低い批判だと思いますし,
専門家として見識を疑いを抱くものだと思います.

サッカーのジャーナリストは,サッカーについてよく理解していて,
ザッケローニが何を考えているのかについて深く知る(考える)ことができる
立場にいるはずです.もちろん本当の答えは,ザッケローニ本人しか分から
ないことではあるのだけれど,幾つか尤もらしい仮説は立てられてしかるべき
です.行動(目に見えること)であれば一般人でも見て取れるのですから.

「筆者はザッケローニがどういう考えでゲームに臨んだと思っているのか」
筆者のこの試合におけるザッケローニ像を読み取ろうとしました.とはいえ,
筆者の仮説は書かれていなかったので,その仮説を示唆する部分を抜き出して
みました.*1

"結果に対するこだわりが、少しもうかがえなかった。"
"ザッケローニはグループリーグがザロサムゲームであることを忘れてしまっていた"(のだろうか)
"勝つためのゲームプランが“真っ向勝負”という1通りのプランしか用意されていなかった"

この人の仮説ではザッケローニは,ゲームに勝ちたいと考えず,ゲームのルールも
ままならず,ゲームプランも用意していない人だということになります.
こんなに酷い人を代表の監督に連れてくるなんてサッカー協会はどれだけ無能なん
ですか.

ジャーナリストが知っているサッカーの監督候補者ってのは元々こんな人
ばっかりなんでしょうか.そうでないのだとすると(つまり結果を重視し,
ルールはちゃんと頭に入っている.プランも複数用意するのが一般的なサッカー
監督になるような人であるとすると),ジャーナリストがして許される批判
は,サッカーの戦術や戦略の内容や運用についてなのだと思います.

*1:ちなみに,上に挙げた以外にも批判している点を抜き出してみましたが,行動についての
批判でした.これらの点の特徴は,それだけでは良いとも悪いとも言いにくい点です.
とはいえ3が事実だったら良くないと思います.
+"ピッチで起こっている現象に対する処置があまりにも無"い
+"内田に代えて酒井宏樹を投入"した
+"ベンチの意図を感じ取れた選手は本当にいたのか"「ベンチの意図を選手に伝えることができなかった」
+"中村よりも先にハーフナーを入れ"た
+"アディショナルタイムにパサーを投入"した

矢口をネタに楽しそうな有吉

最近こんなエントリーがあって,この満面の笑顔がドスグロすぎて笑ってしまいます。
昨年の放送された別の映像を見ていたら,有吉はしばらく前から矢口にひとことあったのだろうなということが窺えました。そういう気持ちをもって見ると面白いですね。


「矢口はすごい」みたいな話で盛り上がるなか,その話題にはのらない。

以下,バラエティにくるのなら矢口のポジションを狙えと楽しそうに石川梨華にアドバイスする有吉。ちなみに,少しだけ保田の話題も出ていましたが,そちらは特になにもなさそうでしたね。



アウトレイジ見ました

これは面白かったです。見ていてドキドキしました。
巷の意見を見てみると,特に後半の暴力の描写が結構雑になってくっていう意見もあるみたいですし,それは否定しないけれど,ここで描いている暴力,たけしの映画で言いたい暴力って,それだけじゃないですよね。なんつか,徹底して皆殺しになるところで言いたいんだと思うんです。

 この映画の数少ない癒やし系のキャラクタに大友の嫁がいるのですが,警察に勤める後輩に車を変えるように進言されて,それで大友が嫁に車を変えるように告げるんですよ。そのやりとりで大友が「死んでもいいのか!」って叱るんですけど,嫁はこわ〜いっつて茶化したりする。すごく普通っぽいというか一般人みたいな反応をするんですよね。この嫁は,やくざ稼業にもほとんど関わっている描写がないんですけど,大友が命を狙われて仲間が殺されるなかで,結局殺されるんですよね。そんで嫁の死体の股から血が流れてたりする。
 たけしの映画の暴力って観客の安心感みたいなのを突然壊すようなものを意図しているのかなぁって思うんですよ。例えば,その男凶暴につきで,弾を避けたら流れ弾が一般人の頭に当たっちゃう描写とかですね。もちろんこの映画のウリは,どういう風に面白くかつ残酷に殺すかって部分だけれど,そこはエンターテイメントの部分だと思うのです。殺す場面についてはそのエンターテイメント性で文句を言いたくはなるけれど,たけしが言いたい暴力の本質はちゃんと描かれていたと思いました。

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知らないブログだけどブックマークが多かったんでのぞいてみたら,親しい方が亡くなった旨が書かれていた.故人への思いが淡々と綴られていて,読んでいて心を揺さぶられたけども,それ以前のその方の日記を読んだことがなくて,そのエントリだけブックマークするのは気がひけた.

ものまねを批判できる立場から一番遠いのはものまねされている本人、コロッケを殴っても良いのは鉄矢

「やっぱり最初は“からかわれてるな”という意識はありましたよ。でも“あなたのことが好きだから、ものまねをしているんです”と言われるとね。実際、一緒に飲んだりするとおれ以上に『金八』に詳しかったりするの。だから、おれは好き嫌いは別にして、自分に興味があってまねしてくれているんだから、悪意丸出しじゃなければ大目に見ることにしてます。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130328-00000010-pseven-ent

たとえ演技者であっても画面を通した映像を本人が見て,観客の立場から演技を証拠にものまねが違うってのなら批判としてアリだと思います。でも,演技者としての立場からものまねを非難してもそれは的外れな感じはしますね。
観客が俳優さんを評価するのは,必ずしも画面に写る,その場の演技だけではないとは思います。例えば,演技準備がたいへんだったんだろうなぁとかっていうのを演じている姿を見て想像して,そういうところも,俳優さんを評価するポイントになるとは思うのです。でもそれだって,見ている演技を通して想像するのであって,俳優さんが僕こんなに大変だったんだよっていう語りを聞いてっていう訳ではないように思います。
だから演技者というか,当事者の心情とか事情を持ち出して,それをものまねが反映していないからって感じでものまねを非難するのは違いますね。この鉄矢の上記の引用だって,もしコロッケの鉄矢のまねが悪意マンマンだったら腹が立つからコロッケをハンガーでぶん殴るっていう話であって,ものまねが優れているかどうかは,鉄矢のヌメッとした感じをどれだけ表現できているかだけが重要なはずなんだと思います。

まともが分からない。

問題があるときに,勉強したり準備することを誰かが教えてくれるとは限らないってのは痛感します。
社会で必要な頭の良さってのは,与えられた問題を理解したり,解く力以上に,必要な範囲をいろんな手段を使って調べて,必要なだけ準備して勉強しておくってことな気がします。こういう前提はこなした上で,その場限りではない,専門性や教養を身につけるための勉強ができる人ってのは本当に偉い。

おっさんが急に勉強したいとか言い始めるのは,仕事や準備じゃない勉強,知りたいことを期限とか制約を考慮しないで知りたいだけ勉強したいっていう希望やを反映しているのかもしれない

http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E3E0E2E3E78DE3E0E2E6E0E2E3E09191E2E2E2E2

巨額詐欺事件で被害にあった福岡市南区の無職女性(70)が「お金を取り戻せる」と投資を持ちかけられ、約1000万円をだまし取られていた

詐欺にあった人がその被害を取り戻そうとして,また詐欺にあってしまったという事件です。ちょっと時間をおいて考えてみれば,詐欺の被害っていうのは防げるようなことも多いのかもしれないですね。この事件は,詐欺の被害にあった人は孤独なんじゃないかということを表しているのかもしれないと思いました。円天で検索をかけても,いかにこれが馬鹿げた仕組みかっていう観点からの説明がメインですしね・・・

と,まあ・・・さも自分が考えたように書いたけれども,
⬇このブックマークのコメントの内容をそのまま書いただけです。
http://b.hatena.ne.jp/throwS/20120412#bookmark-89345594

周りに頼れる人が居ても、詐欺にあったって言うと、「だから言わんこっちゃない…」ってバカにされるんで、相談出来ないって話しを聞くケド、本当にお気の毒だよなぁ…

なんていうか,振り返って考えてみても自分はこういうコメントはきっとできなかっただろうなと思いました。
そんで,自分がこういう被害にあった人とかの立場に立って物事を考えられているかどうかが不安になりましたので文章にしてみました。