電脳墓地

最近tumblrで気になった新聞記事を記録してるのですが,葬送事業の変遷についてのが面白かったのでちょっと編集して以下に紹介します。

特集日本の知力 第5部 宗教で考える 読売新聞 朝刊 10月21日

その島を訪ねると,懐かしい風景のなかに約500区画の墓地が広がっていた。アバターと呼ばれる分身を操作し歩を進めるとお墓が見えてきた。手を合わせる。お花もささげた−。
「メモリス島」はネット上の仮想世界「セカンドライフ」内に昨年開設された電脳墓地だ。ネット上に思い出の映像,文章を保存することもできる。
運営するメモリス社(東京・東新橋)は,お骨を納める従来のお墓のあり方を否定している訳ではない。だが「墓や骨よりネット内に蓄積させた映像の方が『その人らしさを表現できる』と感じる人も多いのでは」と,ゆ佳元社長(28)は時代の変化を読み取る。
「焼かれてDNAも残っていない遺骨はただのリン酸カルシウム。墓に入れてもいいし,入れなくてもいい」。真言宗の功徳院責任役員,松島如戒さん(71)は,考案した同院のパソコン墓石「翔天」の前で淡々と語った。
翔天は,装置に専用カードを差し込んで遺影や戒名を呼び出し墓参するシステム。納骨するかどうかはまったくの自由選択だ。パソコン上で墓参できるサービス「サイバーストーン」も年内に始める予定だという。


パソコン 墓石 「翔天」。磁気カードを読み取り機に挿入すると,故人の映像などが映し出される(東京都豊島区の功徳院すがも平和霊苑)

http://hemmsfragments.tumblr.com/post/55623453/500

"「墓や骨よりネット内に蓄積させた映像の方が『その人らしさを表現できる』と感じる人も多いのでは」"

「焼かれてDNAも残っていない遺骨はただのリン酸カルシウム。墓に入れてもいいし,入れなくてもいい」

この2つの発言には驚いた。
死んだ人をそれとして意識するには遺骨のような物理的にあるものが必要なように感じたので。たとえばこういうシステムを自分が利用するとなったときに,両親や兄弟の情報だけに対して自分の感情を向けられるかどうかは少し疑問。
ネットがコミュニケーションに便利だといってもそれはツールとしてであって,向こう側に相手がいるということが前提になっている。向こう側に遺骨なりがあれば良いと思うのだけれど,ネット上の情報が相手になるというとまた話は違う気がする。