http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0528/412972.htm?o=2

最近になってあのときのことを思い出すのは、子供が娘であることも影響しているのだと思います。私は娘にもキチンと教育を受けさせ、仕事を持って欲しいと思っています。が、この子が将来どういう風に育ち、そしてどんな結婚をするのか、と考えたとき、ふとあのときにキャリアと愛に揺れた(なんか今の年になって言うと恥ずかしいですが)苦しみが蘇ってくるのです。
私のように男も女もなく平等だ、と育てても結局はかえって本人を悩ませてしまうことになるのではないか、と思ったりもします。
かといって女には学問もキャリアもいらない、という教育をするつもりにも、いざとなったらそれを手放すことも必要、と教えるつもりにもなれませんが。

ある女性が恋人の男性から結婚するのであれば,自分のキャリアをあきらめるように言われたというそういう話なんですね。現在はその男性とも結婚していてその当時を回顧した感想を上に引用しました。
教育について考えさせられる内容です。男女は平等であるべきという一般論は大切なのですが,結婚かキャリアかという判断を迫られている当事者にとっては何の役にも立ちません。その人の来歴はその人固有で,一般論はそうした文脈を無視したものだからです。結局のところ,ある人が生きるにあたってなされる個々の判断は当事者が下すしかない。
そうは言っても世間というのは一般論で動くので,自分の判断を下してそれを正当化しようとするのであれば,あるいは正当化しないという覚悟をするのであれば,一般論を知っておくことは重要と思います。教育ができる,あるいはするべきなのは精々そこまでだと思いました。